四月の初旬、上野から東北本線に乗った。
午前九時発の急行は、満員だった。
引揚者風の男、行商の女、農作業帰りらしい老人。三等車の木の座席に肩を寄せ合い、それぞれが口を閉じていた。窓の外に東京の焼け跡が流れ、やがて荒川を越え、埼玉の田畑が広がりはじめた。
神崎は窓際の席に座り、煙草を一本吸いながら、周囲を観察した。
中野学校で教わったことの一つに「旅をするな、移動せよ」という言葉があった。旅人は目的地を意識する。移動者は途中の風景に溶け込む。今日の神崎は後者を心がけた。くたびれた綿のズボン、染みの目立つ作業着。三ヶ月前まで水戸の工場に勤め、整理解雇に遭って職を探している——そういう男の格好だった。
(我ながら嘘らしくない)
それは七年間の諜報の経験であり、あるいは単に、その設定が現実に近すぎるからかもしれなかった。
福島に着いたのは昼過ぎだった。
小さな駅の出口で、神崎は立ち止まった。
東京とは空気が違った。まだ山の冷気が残っている。桜が駅前の通りに並んでいたが、まだ咲き切っていなかった。蕾が膨らみかけていた。
宿は事前に調べておいた安宿だった。一泊百二十円。布団は薄かったが、文句は言わなかった。宿帳に偽名を書き、荷物を置いた。
封筒の中にあった住所メモによれば、国鉄福島地区労組の集会は毎週木曜の夜に開かれていた。場所は駅から歩いて十分ほどの、元炭鉱夫の互助会館だった。
今日は月曜だった。
三日ある。
神崎は宿を出て、街を歩いた。どこに何があるかを頭に入れる。逃げ道を探す習慣を、体が覚えていた。
木曜の夜、会館の前に立った。
軒下に赤い旗が二本、並んで立っていた。中から男たちの声がした。
神崎はコートの衿を立て、扉を押した。
六十人ほどが詰め込まれた部屋だった。煙草の煙と汗の臭いが充満していた。長机が並び、その端に立った若い男が何かを読み上げていた。機関紙の記事らしかった。
(ドッジラインの批判)
耳を澄ますと、内容が聞こえた。均衡予算の名の下に、労働者が切り捨てられる。GHQと日本政府は一体となって、復興の痛みを庶民に押しつけている——そういった内容だった。
間違ってはいない、と神崎は思った。
しかし間違っていないことが、正しいこととは限らない。それもまた、中野学校ではなく、七年間の経験が教えた話だった。
神崎は部屋の後ろに立ち、壁に背を預けた。
前の方の席に、一際背の高い男がいた。周囲の男たちが、何かを言うたびに視線をその男に向ける。中心にいる人間特有の引力があった。
(あれが丹羽か)
顔は見えなかった。後頭部だけが見えた。
その男は身動きせず、読み上げられる機関紙の内容を聞いていた。ただ聞いていた。それだけで、周囲の空気が変わっていくように見えた。
神崎は煙草に火をつけなかった。
この夜は、見るだけにした。